趣味で地理・地学

趣味で地理・地学をやっています。役に立たないことほど,おもしろい。

受験地学は儲からない

 すっかりご無沙汰しております。2年半ぶり?のブログ更新です。

 2年半,一体何をしてたのかというと,需要のある方向を向いてずっと仕事をしていました。表現が遠回しですね,とりあえず(少なくとも短期的に)儲かる方向の仕事を一通り引き受けて儲けていた,というのがより的確でしょう。

 具体的に“儲かる方向”とは何なのか。大学受験業界に身を置く私にとってそれは,地理・地学から離れることを意味しました。

 いやいや,地理だって地学だって,ちゃんと真面目に努力すれば儲かるだろ,というご指摘,もっともです。事実私は大学院の博士後期課程を中退してきた,いわばドロップアウト組です。ドロップアウトしてやってきた大学受験業界で,私はたまたま数学がほんの少しできて化学がそこそこできたため,かろうじて拾ってもらえた,というのが私の20代後半のあらすじです。しかし,だからこそ,いただける仕事を確実に引き受け,着実に儲けてきました。

 そうしてボーッと生きていると,次第に自分の姿を忘れていくものです。歌を忘れたカナリアのように,私は流されるままに数学や化学のプロみたいな顔をし始めてしまいました。いやいや,全然嫌なんだけど。特に数学とか,マジで中等教育で止まってるんですけど。アマもアマで,もう甘々で…。ですが,需要があるので場数をこなすうちに,それっぽい指導ができるようになってしまうのです。私の思い描いていた予備校講師像と違う!違いすぎる!(まあ予備校講師なんてマジの専門分野ドンピシャで仕事している人はそんなに多くないでしょうし,現代の塾・予備校に対する需要なんて“やる気喚起”とか“学習管理”みたいなコンサル的業務に軸足がシフトしてるので,それでいいのでしょうが…)

 でも,やっぱり私は,あくまで大学受験指導においてはプロを名乗れるだけであって,数学や化学のプロではありません。その意味で,教科的には,やはり地理や地学のプロでありたいわけです。(もちろん,私はブログ立ち上げ時の記事にもあるように,博士をとってないので,本当の意味でのプロではないわけですが…)とはいうものの,地球科学系OB,しかも全国有数の「地理と地学が同一学科組織で学べる大学」の出身者として,これまでの知見を大学受験業界に還元するなど,何らかの形で貢献したいと思うのです。しかし,やっぱりそれがダイレクトに活きる需要が存在しません。そう,受験地理地学は儲からないのです。

 なぜ儲からないのか。この窮状を,(特に地学に着目しながら)4つの視点から紐解いていこうと思います。いずれもごちゃごちゃいいますが,要点をまとめるとそれらの根幹にあるのはすべて「受験者数が少ない」もとい「学習者数が少ない」ことです。

 

 本題に入る前に前提の知見を整理しましょう。学習者目線で地学の窮状を論じた記事や動画は,これまでにも数々挙げられてきたし(私自身も書いた),日本の(特に公教育の中での)高校理科教育における地学という文脈では,それらにまつわる学会やシンポジウムでも議論されてきたようです。

spreading-earth-science.com

syumichiri.hatenablog.com

www.jstage.jst.go.jp

 一方,それらと比較して,私教育(受験業界)の枠組みの中での地学の窮状について,特に指導者側の視点で議論されたものはほとんど見当たりません。当たり前ですが,私教育においては需要を反映してカネが集まるところに人も関心も集まるので,単に需要がない(低い)ことを示しているわけですね。しかし当方,趣味で地理・地学と銘打ってスタートしているわけですから,需要がなくて結構。受験業界における指導者の視点からみた地学の儲からなさについて,コソコソ考察してみようと思います。

 本記事で取り上げる要点は下記4つ。

 ① 書籍が売れない

 ② 予備校でも開講数が少ない

 ③ 模試でも地学が設定されない

 ④ 過去問も出回らず,新規受験者にとっての障壁も(物理化学生物よりも)めちゃめちゃでかい

 以下,それぞれについて詳述したいと思います。

 

① 書籍が売れない

 受験者数が少ないということは,その教科を学ぶ人間の絶対数も少ないということです。学ぶ人間が少なければ,その教科の学習参考書も売れない。売れないから,商業ベースでは参考書は(必要最低限の地学基礎しか)作らない。参考書がないから,学び始める際の障壁が大きい。障壁が大きいから,学習者が少ない。そうすると…(ここでふりだしに戻る)。この無限ループに陥る側面があるわけです。

 参考書のみならず,教科書発行社数も1社だけであり(学習指導要領改訂前は2社だった),学習者がより学びやすいとか,指導者がより指導しやすい参考書や教科書を選定できる素地が整っていません。

www.shinko-keirin.co.jp

 参考書が売れない,儲からないとなると,じゃあ地学関係者はどう動くか。少子化を受け高等教育がリカレント教育に少しずつ舵を切っているのと同調的に,地学も「大人のための学び直し」とか「教養を深める」とかいう文脈で,受験とは遠ざかった方向へニッチ進出している側面があるようです。これがブルーオーシャンかというと,そうとも言い切れない気がしますが…しかしやはり受験業界オリエンテッドでやり続けるよりは,確実にそちらの方が儲かるでしょう。まともに大学受験生をターゲットにして本を書いても,儲からないのです。

② 予備校でも開講数が少ない

 前述の①と大いに重複しますが,地学の学習者が少ない状況,とりわけ大学受験業界では「文系国公立受験の共通テスト理科基礎科目の一つとしての地学基礎」にしか需要が存在しないことを反映して,塾や予備校では地学関連科目の開講数が絶望的に少ないのです。地学の講座を設定したところで,会社として儲からないのでしょう。“地学の人気講師が云々”みたいなキャッチフレーズは誰しも聞いたことがありませんね。目玉コンテンツに据えられることはあり得ないのです。

 予備校の規模や母集団のレベルにもよるでしょうが,理科4科目の中では,物理や化学の講座はレベル構成も多く,夏期講習や冬期講習でもターゲットを絞った多様な講座が準備される傾向があります。生物がそれに次いで多いですが,物理や化学と比べるとバリエーションが少ない印象を受けます。が,地学はそれとは比べ物にならないレベルで少ないのです。物理や化学の開講を10とすると,生物は6〜7くらいで,地学は1以下,といった感じです。なんなら1講座でもあれば十分,規模あっていいですね,となりそうです。

 地学の開講数が少ないとどうなるか。当然,地学講師の需要が低迷します。予備校全盛期から仕事を続けていらっしゃるベテラン講師であっても仕事が減る現状ですが,若手講師や新人講師にとってはそもそもの採用枠が僅少で,新たに仕事を始めることすらできません。実際,私自身も,地学の採用試験を受けて合格しているものの,事実上の開店休業状態。駆け出しの時点で食いぶちを考慮して「化学や数学もできます」と言ってしまったばかりに,「じゃあそちらの採用試験もぜひ受けてください!」と推され,合格し,そのままそちらの仕事を続けている次第なのです。

 そう,(私自身を“器用”と形容するつもりは一切ありませんが,)器用な地学講師ほど,他の教科の指導もできる場合が多く,そちらの教科の指導実績ばかりがみるみる積み重なってしまって,肝心の地学の指導実績が作れない,みたいな傾向はあるかもしれません。地学は総合科学としての性格が強く,地球科学的事象を明らかにするために物理学や化学の理論を用いたり,生物学で得られた知見を援用したりするわけです(時には古文書の力を借りることもあるので,歴史学や考古学との結びつきもありそうです)。地球物理や宇宙物理関連の専攻にいた方々は物理講師として兼業されているケースが多く,地史・古生物学関連の専攻にいた方は生物講師として兼業されているケースも見られます。無論,地学では数学も多用するので,数学講師として兼業されているケースも多いです。

 そして,当たり前の話ですが,地学の指導実績がないと,地学講師として業界内で認識されず,地学関連の仕事につながりにくい。私のように,気付けば他教科の講師のフリをして仕事をこなしてしまい,そのまま続けてしまう人間も少なくないと思われます。

 先にも述べましたが,カネの集まるところに人(講師)は集まるので,他の科目で通用する力があるのに地学に敢えてこだわり,収入増の機会を絶って地学の仕事をするような人は,もはや変わり者といえるでしょう。講師が集まらないから,当然,切磋琢磨のような仕組みも生じず,質の向上のチャンスも得られません。生徒側からしても,物理や化学だったらめっちゃわかりやすい講師と講座が存在するのに,地学を選択したらなんかショボいんですけど…とかになったら,当然流行らないわけです。こうして受験地学業界がみるみる盛り下がってしまう,ような気がしています。

③ 模試でも地学が設定されない

 大学受験模試というと,その方式や目的別に多種多様なものがあります。現在,大学受験模試を運営している学校法人・企業は,駿台河合塾,東進,代ゼミが挙げられます。その中でも,記述模試の教科設定状況をみると,地学の状況がよくわかります。今回例示するのは,10月以降に実施される記述模試の開設状況です。

 駿台河合塾の記述模試では,(いずれも学校法人が母体なので,比較的営利性なくても運営ができるフシがあるのかもしれず)地学が設定されています。

2023 第2回 駿台・ベネッセ記述模試の理科科目
https://www2.sundai.ac.jp/moshi/pdf/n03.pdf より) 

2023 第3回 河合塾 全統記述模試の理科科目
( https://www.kawai-juku.ac.jp/zento/lineup/gd3/kijutsu03/ より)

 しかし,東進の記述模試では,下表のように,地学が存在せず,理科は「物理,化学,生物より選択」となっています。

東進 早慶上理・難関国公立大模試の理科科目
https://www.toshin-moshi.com/nankan_level/ より)

 また,記述模試のかたちでの実施がないものの,大学別の冠模試の形式で運営されている代ゼミでは,東大プレでこそ地学が設定されていますが,他の地学開設がある旧帝大(名大,東北大,北大,九大)の模試では地学が設定されていません。そう,京大プレですら地学が存在しないのです。

2023 代ゼミ第2回東大入試プレ
https://www.yozemi.ac.jp/yozemi/moshi/detail/230 より)

2023 代ゼミ第2回京大入試プレの出題科目
https://www.yozemi.ac.jp/yozemi/moshi/detail/226 より)
脚注の「京大入試プレでは,「地学基礎・地学」は出題いたしません。」が物悲しい雰囲気…

 運営する側としては,せっかくカネかけて模試問題作っても,地学選択者なんてほとんど誰もいないし,はっきり言って無駄,ということなのでしょう。模試の運営のためには,まず作問にあたってその教科のプロ講師に報酬を支払い,作問の妥当性をチェックし(ここは会社によって色々あるっぽい),99.9%の受験生が一度も見ないであろう紙面の作成のための印刷をし,分厚くなった問題冊子や解答用紙に輸送コストをかけ,また採点のためにもその担い手へ別途報酬を支払う必要がある。となれば,全国でたった数人〜数十人受けるかどうかの科目の設定のために数百万(もっとかかる?)のコストを捻出するのは馬鹿らしいと判断されるのも納得できます。なんなら,地学を設定しないことによって上述のコストが削減され,模試の受験料が数十円でも安くなるのであれば,それこそ99.9%の受験生は歓迎するでしょう。

 そう考えると,むしろ,受験者数が少ないのにもかかわらず,大学入試センターは毎年予算を出して共通テスト「地学」の作問をしてくれているのだから,すごいことのようにも思えてきます。現代の世相に鑑みると,諸々で余裕がなくなりコストカットないしは効率化が図られまくっています。余裕がなくなった世の中になれば,「地学は無駄だから廃止!」とかになりそうなものですが,まだそうなっていないということは,まだ良識ある大人が世の中にいらっしゃることの証左でありそうです。

④ 過去問も出回らず,新規受験者にとっての障壁も(物理化学生物よりも)めちゃめちゃでかい

 最後に過去問関連についても触れましょう。①や③で述べた事項とも関連しますが,地学は受験者数が少ないため,過去問も(他の教科と比較して)出回りにくい実情があります。例えば,教学社の共通テスト過去問(通称「赤本」)では,地学基礎の付録扱いで「地学」が収録されているだけにとどまり,十分な過去問演習ができるとは言い難い現状があります。

akahon.net

 過去問が十分に,あるいは身近に出回らないということは,受験者にとってもアクセスしづらい状況になります。受験生の中には,たとえ良き指導者に恵まれなかったとしても,世に溢れる問題をたくさん解いて力を付けた,みたいな者もいますが,それが地学においては成立しづらい。例えば北大受験に向けて類題演習をしようとしても,そもそも類題が存在しない,みたいな状況に陥るわけです。ただでさえ指導者も少なくて学ぶチャンスが皆無なのに,問題演習がしづらいとなると余計に指導者の力量次第となってしまい,行き着く先は“地学が開講されており良き指導者がいる高校にいるかどうか”になってしまいます。まさに運ゲーですね。

 過去問や指導者はもとより,同じ地学受験生が周囲にほぼいないという状況を考慮すると,「この勉強法で大丈夫だろうか…」という不安を共有する相手もいないし,「次は地学で偏差値70取ってお前に勝つ!」みたいな張り合いも生まれないことになります。大学院博士課程経験者の私としては,別に勉強において仲間との競い合いなんて要らねえだろ,なんて気持ちになってしまいますが,10代後半とか20代前半の若者にとってはそういう要素も大事な気もします。(そういえば大学院修士課程のときに,ゼミの助教に「修論は集団戦だ,勢いが大事」と言われたことを思い出しました…)

 また,主に国公立二次試験において地学が作問される場合においても,他の理科科目と比較して,受験生の出方を窺うような,保守的な出題が多い印象があります。受験者数が多く,人の目に触れる機会の多い科目は,当然予備校業界をはじめとする大学受験関係の指導者の目に触れます。そうすると,必然的に論評の目に晒されることとなり,「あ〜この問題は悪問だ,これは解く価値がない」だの「これは受験生の思考力をためす良問だ」だの言われることになります。また,受験生の得点状況も大学側(作問者)へのフィードバックとなり,「ああこの問題は流石に難しすぎて差がつかなかったか…」とか「これは思考力の有無で出来が分かれたな」と,次年度作問への判断材料が得られることになります。そういった過程を経て,最新の学説を高校教科書内容と関連付けながら設問に取り入れつつ,入試問題は年々磨かれてゆく(洗練されてゆく)傾向にあります。

 しかし地学の場合は,そういった過程がほぼ存在せず,入試問題も指導者も(物理化学生物と比較して相対的に)磨かれないことになってしまいます。再三話題にあげているように,カネの集まるところに人が集まるわけですが,物理化学生物はいずれも医学部受験に必要な科目(国私問わずほとんどの場合において理科2科目必要で,メジャーな選択パターンは「化学・生物」or「化学・物理」)であり,昨今過熱傾向にあった医学部受験の界隈ではやはり医系専門予備校(ないしは大手予備校の医系特設コース)が台頭することで,カネが集まってくるわけです。講師たちも,その世界で仕事をしていくと,自ずと医学部入試の高難度の問題に日常的に触れることとなり,より高いレベルへの道筋を見据えて日々の授業をこなすことになるので,必然的に質が上がっていく(上がらない者は自然淘汰されていく)ことになります。

 すなわち,現在の大学受験業界において医学部受験が最難関として君臨してしまっている以上,そこで扱われる科目とそうでない科目の間には大きな格差が存在するのは仕方のないことなのです。過去問が出回らないことを切り口に論じましたが,そもそも受験地学は(東大京大にはあるものの医学部受験に存在しないために)ピークがそれほど高くなく,それゆえ裾野も広がらず,アプローチしにくい科目となっているのです。

 

おわりに

 今回は,受験地学について,あまり世に出回っていない視点から考察してみました。久しぶりの投稿のわりに,結局まだ趣味性が低くなってしまいました…

 私がなぜ,こういう記事を書いたかというと,背景には,①年始に能登地震災害が発生したことと,②予備校の仕事のシフトチェンジが図れそうな時期にあること,の2点があります。

 ①については,私は元来,“役に立つ”ための地理・地学を志向しない人間なので,当然のように災害といって真っ先に飛びつくようなことはしませんでした。あくまで,楽しいから地理・地学をやっているだけです。ただ,テレビやSNSなど諸々のメディアを見ていると,やはり地球科学的基礎事項の理解が不足した発信が散見されたり,二次的な情報に終始して「これ地学で考えれば演繹的にわかることなのにな…」と無念に思うことが多かったのです。

 皆が必ず地学を学ぶ必要はなくて,いわんや「防災のために地学をやれ」なんてツマラン動機で押し付けるつもりは毛頭ありません。ただ,先述のように,裾野が広がることは重要だと思うのです。全人類で…というと過大になりますが,少なくとも全日本人については,知り合いに1人は地学わりと知ってる人が存在する,みたいな状況が作れたら嬉しいわけです。知り合いに医者や弁護士がいると心強い,みたいなやつとは(社会的信用という点で)若干文脈を異にしますが,そういう世界になるといいな,と思ったのです。裾野を広げるためには,やはりまず第一歩として現状整理が必要だな,と思った次第です。

 前述①がpull要因だとすれば,②についてはpush要因です。今の仕事を始めてから6年ほど(?)経ちますが,やはり少子化の影響の風下にいる我々業界ということで,未来永劫発展し続ける仕事ではないということを察しています。特に,これから数年の間に,(ダイレクトな少子化の影響というよりは)少子化を見据えて優秀な学生の早期安定確保のために推薦・総合型選抜への重心シフトを図る大学が増えることが想定されるため,一般選抜を目指した大学受験予備校のサービスはいずれ縮小の道をたどることになるでしょう。そこで自分の得意分野を隠しながら“““数学や化学のプロ”””(後ろめたすぎてダブルクォーテーションが増殖している)として生きていくのはちょっと楽しくないな,と思ったのです。現在の仕事を漫然と続けていたとしても,国公立文系生徒に地学をちょっと好きになってもらうことはできても,地理地学ガチ勢(あるいはその予備軍)と関わることは99.9%不可能なのです。

 私から数学や化学を教わるよりも,もっといい指導者が世の中にはたくさんいる。それよりも,(たいへん烏滸がましい話なのですが)私から地学や地理を教わったほうが絶対に価値がある,と思うのです。曲がりなりにも地球科学のメッカで8年間くらい学び研究してきたわけで,一般人が経験しない北極圏での地形調査とか,過疎集落での土地利用調査とか,山ほどしてきたわけです。こういう話をしていくだけでも,「そうか地理とか地学は先に進むとこういう研究があるのか」と思える機会になるんじゃないかと思っています。あるいは,今現在に需要がなくても,裾野を広げるべく発信すりゃいいだけじゃないか,というのが私の現在の想いです。ゆくゆくは,どこかで地理地学ガチ勢の育成に携われたらいいなあ…と思っています。(そうなるとむしろ私のニワカ性が露呈してしまいそうですね)

 そうそう,ガチ勢という文脈で,偏見まじりに最後に一つ。やっぱり器用な地学講師は文系受験生へのフレンドリネス(?)を全面に押し出し,自らの有する変態性を隠しながら仕事をする傾向があるので,「あなた何をされてる方なの?」がわからず,同業者間で互いに情報共有がなされないイメージもあります。これがもどかしいですね。全国の地学講師の皆様,ちょっとそういうなんらかのコミュニティありませんか?ご連絡お待ちしています。