趣味で地理・地学

趣味で地理・地学をやっています。役に立たないことほど,おもしろい。

受験地学は儲からない

 すっかりご無沙汰しております。2年半ぶり?のブログ更新です。

 2年半,一体何をしてたのかというと,需要のある方向を向いてずっと仕事をしていました。表現が遠回しですね,とりあえず(少なくとも短期的に)儲かる方向の仕事を一通り引き受けて儲けていた,というのがより的確でしょう。

 具体的に“儲かる方向”とは何なのか。大学受験業界に身を置く私にとってそれは,地理・地学から離れることを意味しました。

 いやいや,地理だって地学だって,ちゃんと真面目に努力すれば儲かるだろ,というご指摘,もっともです。事実私は大学院の博士後期課程を中退してきた,いわばドロップアウト組です。ドロップアウトしてやってきた大学受験業界で,私はたまたま数学がほんの少しできて化学がそこそこできたため,かろうじて拾ってもらえた,というのが私の20代後半のあらすじです。しかし,だからこそ,いただける仕事を確実に引き受け,着実に儲けてきました。

 そうしてボーッと生きていると,次第に自分の姿を忘れていくものです。歌を忘れたカナリアのように,私は流されるままに数学や化学のプロみたいな顔をし始めてしまいました。いやいや,全然嫌なんだけど。特に数学とか,マジで中等教育で止まってるんですけど。アマもアマで,もう甘々で…。ですが,需要があるので場数をこなすうちに,それっぽい指導ができるようになってしまうのです。私の思い描いていた予備校講師像と違う!違いすぎる!(まあ予備校講師なんてマジの専門分野ドンピシャで仕事している人はそんなに多くないでしょうし,現代の塾・予備校に対する需要なんて“やる気喚起”とか“学習管理”みたいなコンサル的業務に軸足がシフトしてるので,それでいいのでしょうが…)

 でも,やっぱり私は,あくまで大学受験指導においてはプロを名乗れるだけであって,数学や化学のプロではありません。その意味で,教科的には,やはり地理や地学のプロでありたいわけです。(もちろん,私はブログ立ち上げ時の記事にもあるように,博士をとってないので,本当の意味でのプロではないわけですが…)とはいうものの,地球科学系OB,しかも全国有数の「地理と地学が同一学科組織で学べる大学」の出身者として,これまでの知見を大学受験業界に還元するなど,何らかの形で貢献したいと思うのです。しかし,やっぱりそれがダイレクトに活きる需要が存在しません。そう,受験地理地学は儲からないのです。

 なぜ儲からないのか。この窮状を,(特に地学に着目しながら)4つの視点から紐解いていこうと思います。いずれもごちゃごちゃいいますが,要点をまとめるとそれらの根幹にあるのはすべて「受験者数が少ない」もとい「学習者数が少ない」ことです。

 

 本題に入る前に前提の知見を整理しましょう。学習者目線で地学の窮状を論じた記事や動画は,これまでにも数々挙げられてきたし(私自身も書いた),日本の(特に公教育の中での)高校理科教育における地学という文脈では,それらにまつわる学会やシンポジウムでも議論されてきたようです。

spreading-earth-science.com

syumichiri.hatenablog.com

www.jstage.jst.go.jp

 一方,それらと比較して,私教育(受験業界)の枠組みの中での地学の窮状について,特に指導者側の視点で議論されたものはほとんど見当たりません。当たり前ですが,私教育においては需要を反映してカネが集まるところに人も関心も集まるので,単に需要がない(低い)ことを示しているわけですね。しかし当方,趣味で地理・地学と銘打ってスタートしているわけですから,需要がなくて結構。受験業界における指導者の視点からみた地学の儲からなさについて,コソコソ考察してみようと思います。

 本記事で取り上げる要点は下記4つ。

 ① 書籍が売れない

 ② 予備校でも開講数が少ない

 ③ 模試でも地学が設定されない

 ④ 過去問も出回らず,新規受験者にとっての障壁も(物理化学生物よりも)めちゃめちゃでかい

 以下,それぞれについて詳述したいと思います。

 

① 書籍が売れない

 受験者数が少ないということは,その教科を学ぶ人間の絶対数も少ないということです。学ぶ人間が少なければ,その教科の学習参考書も売れない。売れないから,商業ベースでは参考書は(必要最低限の地学基礎しか)作らない。参考書がないから,学び始める際の障壁が大きい。障壁が大きいから,学習者が少ない。そうすると…(ここでふりだしに戻る)。この無限ループに陥る側面があるわけです。

 参考書のみならず,教科書発行社数も1社だけであり(学習指導要領改訂前は2社だった),学習者がより学びやすいとか,指導者がより指導しやすい参考書や教科書を選定できる素地が整っていません。

www.shinko-keirin.co.jp

 参考書が売れない,儲からないとなると,じゃあ地学関係者はどう動くか。少子化を受け高等教育がリカレント教育に少しずつ舵を切っているのと同調的に,地学も「大人のための学び直し」とか「教養を深める」とかいう文脈で,受験とは遠ざかった方向へニッチ進出している側面があるようです。これがブルーオーシャンかというと,そうとも言い切れない気がしますが…しかしやはり受験業界オリエンテッドでやり続けるよりは,確実にそちらの方が儲かるでしょう。まともに大学受験生をターゲットにして本を書いても,儲からないのです。

② 予備校でも開講数が少ない

 前述の①と大いに重複しますが,地学の学習者が少ない状況,とりわけ大学受験業界では「文系国公立受験の共通テスト理科基礎科目の一つとしての地学基礎」にしか需要が存在しないことを反映して,塾や予備校では地学関連科目の開講数が絶望的に少ないのです。地学の講座を設定したところで,会社として儲からないのでしょう。“地学の人気講師が云々”みたいなキャッチフレーズは誰しも聞いたことがありませんね。目玉コンテンツに据えられることはあり得ないのです。

 予備校の規模や母集団のレベルにもよるでしょうが,理科4科目の中では,物理や化学の講座はレベル構成も多く,夏期講習や冬期講習でもターゲットを絞った多様な講座が準備される傾向があります。生物がそれに次いで多いですが,物理や化学と比べるとバリエーションが少ない印象を受けます。が,地学はそれとは比べ物にならないレベルで少ないのです。物理や化学の開講を10とすると,生物は6〜7くらいで,地学は1以下,といった感じです。なんなら1講座でもあれば十分,規模あっていいですね,となりそうです。

 地学の開講数が少ないとどうなるか。当然,地学講師の需要が低迷します。予備校全盛期から仕事を続けていらっしゃるベテラン講師であっても仕事が減る現状ですが,若手講師や新人講師にとってはそもそもの採用枠が僅少で,新たに仕事を始めることすらできません。実際,私自身も,地学の採用試験を受けて合格しているものの,事実上の開店休業状態。駆け出しの時点で食いぶちを考慮して「化学や数学もできます」と言ってしまったばかりに,「じゃあそちらの採用試験もぜひ受けてください!」と推され,合格し,そのままそちらの仕事を続けている次第なのです。

 そう,(私自身を“器用”と形容するつもりは一切ありませんが,)器用な地学講師ほど,他の教科の指導もできる場合が多く,そちらの教科の指導実績ばかりがみるみる積み重なってしまって,肝心の地学の指導実績が作れない,みたいな傾向はあるかもしれません。地学は総合科学としての性格が強く,地球科学的事象を明らかにするために物理学や化学の理論を用いたり,生物学で得られた知見を援用したりするわけです(時には古文書の力を借りることもあるので,歴史学や考古学との結びつきもありそうです)。地球物理や宇宙物理関連の専攻にいた方々は物理講師として兼業されているケースが多く,地史・古生物学関連の専攻にいた方は生物講師として兼業されているケースも見られます。無論,地学では数学も多用するので,数学講師として兼業されているケースも多いです。

 そして,当たり前の話ですが,地学の指導実績がないと,地学講師として業界内で認識されず,地学関連の仕事につながりにくい。私のように,気付けば他教科の講師のフリをして仕事をこなしてしまい,そのまま続けてしまう人間も少なくないと思われます。

 先にも述べましたが,カネの集まるところに人(講師)は集まるので,他の科目で通用する力があるのに地学に敢えてこだわり,収入増の機会を絶って地学の仕事をするような人は,もはや変わり者といえるでしょう。講師が集まらないから,当然,切磋琢磨のような仕組みも生じず,質の向上のチャンスも得られません。生徒側からしても,物理や化学だったらめっちゃわかりやすい講師と講座が存在するのに,地学を選択したらなんかショボいんですけど…とかになったら,当然流行らないわけです。こうして受験地学業界がみるみる盛り下がってしまう,ような気がしています。

③ 模試でも地学が設定されない

 大学受験模試というと,その方式や目的別に多種多様なものがあります。現在,大学受験模試を運営している学校法人・企業は,駿台河合塾,東進,代ゼミが挙げられます。その中でも,記述模試の教科設定状況をみると,地学の状況がよくわかります。今回例示するのは,10月以降に実施される記述模試の開設状況です。

 駿台河合塾の記述模試では,(いずれも学校法人が母体なので,比較的営利性なくても運営ができるフシがあるのかもしれず)地学が設定されています。

2023 第2回 駿台・ベネッセ記述模試の理科科目
https://www2.sundai.ac.jp/moshi/pdf/n03.pdf より) 

2023 第3回 河合塾 全統記述模試の理科科目
( https://www.kawai-juku.ac.jp/zento/lineup/gd3/kijutsu03/ より)

 しかし,東進の記述模試では,下表のように,地学が存在せず,理科は「物理,化学,生物より選択」となっています。

東進 早慶上理・難関国公立大模試の理科科目
https://www.toshin-moshi.com/nankan_level/ より)

 また,記述模試のかたちでの実施がないものの,大学別の冠模試の形式で運営されている代ゼミでは,東大プレでこそ地学が設定されていますが,他の地学開設がある旧帝大(名大,東北大,北大,九大)の模試では地学が設定されていません。そう,京大プレですら地学が存在しないのです。

2023 代ゼミ第2回東大入試プレ
https://www.yozemi.ac.jp/yozemi/moshi/detail/230 より)

2023 代ゼミ第2回京大入試プレの出題科目
https://www.yozemi.ac.jp/yozemi/moshi/detail/226 より)
脚注の「京大入試プレでは,「地学基礎・地学」は出題いたしません。」が物悲しい雰囲気…

 運営する側としては,せっかくカネかけて模試問題作っても,地学選択者なんてほとんど誰もいないし,はっきり言って無駄,ということなのでしょう。模試の運営のためには,まず作問にあたってその教科のプロ講師に報酬を支払い,作問の妥当性をチェックし(ここは会社によって色々あるっぽい),99.9%の受験生が一度も見ないであろう紙面の作成のための印刷をし,分厚くなった問題冊子や解答用紙に輸送コストをかけ,また採点のためにもその担い手へ別途報酬を支払う必要がある。となれば,全国でたった数人〜数十人受けるかどうかの科目の設定のために数百万(もっとかかる?)のコストを捻出するのは馬鹿らしいと判断されるのも納得できます。なんなら,地学を設定しないことによって上述のコストが削減され,模試の受験料が数十円でも安くなるのであれば,それこそ99.9%の受験生は歓迎するでしょう。

 そう考えると,むしろ,受験者数が少ないのにもかかわらず,大学入試センターは毎年予算を出して共通テスト「地学」の作問をしてくれているのだから,すごいことのようにも思えてきます。現代の世相に鑑みると,諸々で余裕がなくなりコストカットないしは効率化が図られまくっています。余裕がなくなった世の中になれば,「地学は無駄だから廃止!」とかになりそうなものですが,まだそうなっていないということは,まだ良識ある大人が世の中にいらっしゃることの証左でありそうです。

④ 過去問も出回らず,新規受験者にとっての障壁も(物理化学生物よりも)めちゃめちゃでかい

 最後に過去問関連についても触れましょう。①や③で述べた事項とも関連しますが,地学は受験者数が少ないため,過去問も(他の教科と比較して)出回りにくい実情があります。例えば,教学社の共通テスト過去問(通称「赤本」)では,地学基礎の付録扱いで「地学」が収録されているだけにとどまり,十分な過去問演習ができるとは言い難い現状があります。

akahon.net

 過去問が十分に,あるいは身近に出回らないということは,受験者にとってもアクセスしづらい状況になります。受験生の中には,たとえ良き指導者に恵まれなかったとしても,世に溢れる問題をたくさん解いて力を付けた,みたいな者もいますが,それが地学においては成立しづらい。例えば北大受験に向けて類題演習をしようとしても,そもそも類題が存在しない,みたいな状況に陥るわけです。ただでさえ指導者も少なくて学ぶチャンスが皆無なのに,問題演習がしづらいとなると余計に指導者の力量次第となってしまい,行き着く先は“地学が開講されており良き指導者がいる高校にいるかどうか”になってしまいます。まさに運ゲーですね。

 過去問や指導者はもとより,同じ地学受験生が周囲にほぼいないという状況を考慮すると,「この勉強法で大丈夫だろうか…」という不安を共有する相手もいないし,「次は地学で偏差値70取ってお前に勝つ!」みたいな張り合いも生まれないことになります。大学院博士課程経験者の私としては,別に勉強において仲間との競い合いなんて要らねえだろ,なんて気持ちになってしまいますが,10代後半とか20代前半の若者にとってはそういう要素も大事な気もします。(そういえば大学院修士課程のときに,ゼミの助教に「修論は集団戦だ,勢いが大事」と言われたことを思い出しました…)

 また,主に国公立二次試験において地学が作問される場合においても,他の理科科目と比較して,受験生の出方を窺うような,保守的な出題が多い印象があります。受験者数が多く,人の目に触れる機会の多い科目は,当然予備校業界をはじめとする大学受験関係の指導者の目に触れます。そうすると,必然的に論評の目に晒されることとなり,「あ〜この問題は悪問だ,これは解く価値がない」だの「これは受験生の思考力をためす良問だ」だの言われることになります。また,受験生の得点状況も大学側(作問者)へのフィードバックとなり,「ああこの問題は流石に難しすぎて差がつかなかったか…」とか「これは思考力の有無で出来が分かれたな」と,次年度作問への判断材料が得られることになります。そういった過程を経て,最新の学説を高校教科書内容と関連付けながら設問に取り入れつつ,入試問題は年々磨かれてゆく(洗練されてゆく)傾向にあります。

 しかし地学の場合は,そういった過程がほぼ存在せず,入試問題も指導者も(物理化学生物と比較して相対的に)磨かれないことになってしまいます。再三話題にあげているように,カネの集まるところに人が集まるわけですが,物理化学生物はいずれも医学部受験に必要な科目(国私問わずほとんどの場合において理科2科目必要で,メジャーな選択パターンは「化学・生物」or「化学・物理」)であり,昨今過熱傾向にあった医学部受験の界隈ではやはり医系専門予備校(ないしは大手予備校の医系特設コース)が台頭することで,カネが集まってくるわけです。講師たちも,その世界で仕事をしていくと,自ずと医学部入試の高難度の問題に日常的に触れることとなり,より高いレベルへの道筋を見据えて日々の授業をこなすことになるので,必然的に質が上がっていく(上がらない者は自然淘汰されていく)ことになります。

 すなわち,現在の大学受験業界において医学部受験が最難関として君臨してしまっている以上,そこで扱われる科目とそうでない科目の間には大きな格差が存在するのは仕方のないことなのです。過去問が出回らないことを切り口に論じましたが,そもそも受験地学は(東大京大にはあるものの医学部受験に存在しないために)ピークがそれほど高くなく,それゆえ裾野も広がらず,アプローチしにくい科目となっているのです。

 

おわりに

 今回は,受験地学について,あまり世に出回っていない視点から考察してみました。久しぶりの投稿のわりに,結局まだ趣味性が低くなってしまいました…

 私がなぜ,こういう記事を書いたかというと,背景には,①年始に能登地震災害が発生したことと,②予備校の仕事のシフトチェンジが図れそうな時期にあること,の2点があります。

 ①については,私は元来,“役に立つ”ための地理・地学を志向しない人間なので,当然のように災害といって真っ先に飛びつくようなことはしませんでした。あくまで,楽しいから地理・地学をやっているだけです。ただ,テレビやSNSなど諸々のメディアを見ていると,やはり地球科学的基礎事項の理解が不足した発信が散見されたり,二次的な情報に終始して「これ地学で考えれば演繹的にわかることなのにな…」と無念に思うことが多かったのです。

 皆が必ず地学を学ぶ必要はなくて,いわんや「防災のために地学をやれ」なんてツマラン動機で押し付けるつもりは毛頭ありません。ただ,先述のように,裾野が広がることは重要だと思うのです。全人類で…というと過大になりますが,少なくとも全日本人については,知り合いに1人は地学わりと知ってる人が存在する,みたいな状況が作れたら嬉しいわけです。知り合いに医者や弁護士がいると心強い,みたいなやつとは(社会的信用という点で)若干文脈を異にしますが,そういう世界になるといいな,と思ったのです。裾野を広げるためには,やはりまず第一歩として現状整理が必要だな,と思った次第です。

 前述①がpull要因だとすれば,②についてはpush要因です。今の仕事を始めてから6年ほど(?)経ちますが,やはり少子化の影響の風下にいる我々業界ということで,未来永劫発展し続ける仕事ではないということを察しています。特に,これから数年の間に,(ダイレクトな少子化の影響というよりは)少子化を見据えて優秀な学生の早期安定確保のために推薦・総合型選抜への重心シフトを図る大学が増えることが想定されるため,一般選抜を目指した大学受験予備校のサービスはいずれ縮小の道をたどることになるでしょう。そこで自分の得意分野を隠しながら“““数学や化学のプロ”””(後ろめたすぎてダブルクォーテーションが増殖している)として生きていくのはちょっと楽しくないな,と思ったのです。現在の仕事を漫然と続けていたとしても,国公立文系生徒に地学をちょっと好きになってもらうことはできても,地理地学ガチ勢(あるいはその予備軍)と関わることは99.9%不可能なのです。

 私から数学や化学を教わるよりも,もっといい指導者が世の中にはたくさんいる。それよりも,(たいへん烏滸がましい話なのですが)私から地学や地理を教わったほうが絶対に価値がある,と思うのです。曲がりなりにも地球科学のメッカで8年間くらい学び研究してきたわけで,一般人が経験しない北極圏での地形調査とか,過疎集落での土地利用調査とか,山ほどしてきたわけです。こういう話をしていくだけでも,「そうか地理とか地学は先に進むとこういう研究があるのか」と思える機会になるんじゃないかと思っています。あるいは,今現在に需要がなくても,裾野を広げるべく発信すりゃいいだけじゃないか,というのが私の現在の想いです。ゆくゆくは,どこかで地理地学ガチ勢の育成に携われたらいいなあ…と思っています。(そうなるとむしろ私のニワカ性が露呈してしまいそうですね)

 そうそう,ガチ勢という文脈で,偏見まじりに最後に一つ。やっぱり器用な地学講師は文系受験生へのフレンドリネス(?)を全面に押し出し,自らの有する変態性を隠しながら仕事をする傾向があるので,「あなた何をされてる方なの?」がわからず,同業者間で互いに情報共有がなされないイメージもあります。これがもどかしいですね。全国の地学講師の皆様,ちょっとそういうなんらかのコミュニティありませんか?ご連絡お待ちしています。

高校「地学」普及の難しさ

 どうもこんにちは,syumichiriです。前回の記事更新から1年以上経ってしまいました。自叙伝()を書くのに疲れ,新ネタも越冬前のリスがどんぐりを埋めるがごとく貯蔵していたら結局忘れて放置みたいな状況でした。(どんぐりは放置されて芽吹くけど私の記事は放置しても芽吹かないのでNG)

 さて,本業のほうであれこれ忙しくしていた故のブログ放置だったわけですが,その1年間で,地理や地学の置かれた状況について考えることがあったので,ちょっと簡単に触れてみようと思います。今回は高校「地学」普及の難しさについて。

 地学というと,マイナー科目のイメージが強く,履修環境も限られる(多くの高校で開講されておらず,開講されていたとしても国立文系志望の共通テスト受験生向けの「地学基礎」のみ)という印象があります。それらを実際に調べた先生方もいらっしゃって(下記リンク),全国の高校の約8割を対象としたホームページ調査とアンケート調査からは,「地学基礎」で開設率43.7%,「地学」になると開設率8.8%となるようです。

www.jstage.jst.go.jp

 

やっぱり低い「地学」の開講率…

 低いですよね。そりゃマイナー科目です。ただ,大学受験業界にいる私からすると,「地学」が8.8%というのは,それはそれでかなり健闘しているのでは?とさえ思えてきます。だって,(基礎2単位ならまだしも)基礎でない4単位の理科科目を開講するのは,結局その科目を使って大学受験をするであろう生徒を対象とするからであって,そもそも理系学部の入試科目として「地学」が多くの大学で設定されていない現状を踏まえると,よくそんなにいるもんだな…(本当にそんなにいるのか?)と思うものです。

 私自身も,高校時代は今でいう「地学基礎」を履修していて(厳密には地学科教諭の意向と単位数の兼ね合いで,当時の「理科総合B」2単位の枠を地学用に全振りして学年全員が必修というかたちだった),そこで物理や化学をちょいちょい用いながら現象を解明する地学に惹かれ,地学大好きboyになっていたので,理系3年次に履修するのは「地学」と「化学」がいいな〜,と思っていたわけです。(なぜ「物理・地学」とか「生物・地学」じゃないんだ?という疑問が生じると思いますが,大前提として私は小学生の頃から化学大好きboyだったので化学を切るという発想がありませんでした)

 しかし,当時のセンター試験は理科の試験時間が「化学」と「地学」が同時に設定されていて,仮に国公立大学の二次試験でそれらを使うとしても一次試験で併用がアウトだったので,“泣く泣く”「物理」と「化学」にしたのです。私の前後の世代の学生の中には,同じような経験をした方も(ごく少数でしょうが)いるかもしれませんね。

 そんな,地学大好きboyで,地球科学系の大学を受験した私でさえ「地学」履修を断念するくらいですから,(もちろん新課程になってから「化学・地学」も事実上は可能になっていて選択肢は増えているとはいえ),門戸が開かれているとは言い難い状況です。

 

「地学」もう少し普及すべきでは?

 ただ,小学生並みの感想として,「自然災害や環境変動が顕在化する現代において,地学の素養は必要不可欠では???」と思うので,やはりある程度は普及した方が好ましいよな,という意識があります。そして,そんな意識でネット上を散策していると,やはり同じことを考えている方がいらっしゃいました。そういう問題意識の方は少なくないようです。

spreading-earth-science.com

 上記リンクでは,地学の教員不足や,履修シラバスの枠組み,あるいは地学を学ぶモチベーションとしてのノーベル地学賞の欠落などを要因として,普及の障壁が存在することが説明されています。確かに地学の専任教諭は私の知る限りでも少なく,そういう意味で私の母校は恵まれていた(そういえば県のSSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)に指定されていたなあ…)のです。母校は,当時も今も,文理選択は3年次進級の際になされるので,文系でも理系でも理科4科目を全て履修することになっています。(もとい,理系でも,日本史,世界史,地理,倫理,政治経済を全て履修することになっていて,受験効率厨にとってはウザかったでしょうが,私としてはとても楽しかった記憶があります)

 一般的な高校はそういった環境にないので,地学に興味を持つきっかけが限定的であるとともに,学びたいと思ってもなかなか機会に恵まれることはないのです。したがって,確かに上記リンク先で解説されているように,それらの状況の改善は望まれるところでしょう。とはいえ,仮に地学の教諭が増え,シラバス枠組みが変わったとして,本当に地学の履修者は増える,すなわち“地学は普及する”でしょうか?

 私は,まだ難しいと思います。私の考える理由は大きく2つ,①日本の産業構造 ②地学研究の土台としての物理・化学の重要性 です。

 

普及の障壁①:日本の産業構造

 先述のように,高校での開講状況はさることながら,なにしろ「地学」で受験できる大学・学部がかなり限られているわけです。ゆえに,受験で使えなければ(例えそれに興味があったとしても)高校で履修するのは後回しになってしまうでしょう。高校3年間をただ単に趣味や教養の深化に費やすのは,流石に現実的ではない(もちろん,高校で学んだことが後の趣味や教養に資するというのはいうまでもないことで,たいへん価値がありますが,少なくとも趣味や教養が履修科目選択の主目的になることは往々にしてありえない)ので,そうすると必然的に「地学」を選択する生徒は少なくなります。選択者が少なければ,現場でも必要とされていないという既成事実ができあがり,専門の教員も少なくなっていくことも納得できます。

 そうすると,今度は受験科目として「地学」を設定する大学が僅少なのか?という疑問が生じます。なぜ「物理」と「化学」を設定する大学・学部が多く,次点で「生物」があり,「地学」は少ないのか。それは,日本の大学教育の位置付けや,その背後の産業構造に関連があると思われます。

 詳しい議論については,日本の高等教育について論じられたもの(吉見(2011)など多数)に譲りますが,日本の現代における大学教育は就職予備校としての性格を有しており,将来の仕事のために,それに繋がることを学べる学部・学科にいくという慣習があります。日本では,高度経済成長期から製造業がさかんで,重心は少しずつ変わってきたとはいえ,現在でも工学系の学部は(理学系に比べて)定員も多いし充実しています。また,理学系の学部の中でも,物理系や化学系は卒業後の企業での研究開発に繋がりやすい(かつ一般人にも“わかりやすく”関連している)こともあり,多くの私立大学でも設置されています。やや語弊があるかもしれませんが,いわば“儲けに繋がりやすい”のです。(大学の研究室が特定の企業と共同研究・共同開発をしている,といったケースも多い)

www.iwanami.co.jp

 他方,地学はそういったことが極めて少ないのです。いや,実際は地球科学系学部の出身者が重宝される業種・業界は少なくなく,特に自然災害が顕在化する昨今においては注目度が増しています。ただ,それがフィーチャーされにくいし,言ってしまえば大元をたどると税金で仕事をもらっているみたいな公益性の高い仕事だったりするので,営利的な企業活動に直結しにくい(儲けにも繋がりにくい)のです。そういうのも相俟って,「環境コンサルって何?」みたいな状況が世間一般に広がっているんだと思います。(実際,私も大学2年くらいまではそのレベルでした。でもその知名度の低さとある程度の専門性から,逆にそういった業界では“売り手市場”で,サッと就職を決めていく同期や先輩後輩が多かった…というのも事実)

 地学が企業の営利活動に直結しにくいことが,大学の地球科学を学べる学部学科の設置数の少ない状況を生じ,ゆえに「地学」を入試科目に据えても事実上メリット皆無なので入試科目に「地学」が設定されず,入試での汎用性が低いから高校で「地学」を履修する生徒が少なく,必然的に開講も少ない(ここから先は“卵が先か鶏が先か”の無限ループが続く)…という一つの因果関係が想定されました。

 もちろん,上述で“営利活動に直結しにくい”としましたが,最近ではウェザーニュース社がその部分に切り込んで行って,気象予報を経済活動に役立てることを全面に押し出してB to Bのサービスをやってたりするので,今後状況が好転していく兆しを見せています。(ただ,あくまで一例といった印象…)

 なお,日本のこういう状況が(世界的にみて)どの程度特異的であるのか,ないしは地学が普及しうるような産業構造とはなんたるかについては,今後調べ甲斐がありそうですので,素人レベルですが追って記事にしてみたいと思っています。モデルケースとなるような海外の国は存在するのでしょうか?

 

普及の障壁②:地学研究の土台としての物理・化学の重要性

 さて,私が考えるもう一つの障壁は,大学で地学を学びたい人ほど高校で地学が学べない(学ぶべきでない?)かもしれないというパラドックスのようなお話です。

 地学(地球科学)といっても,中身は多くの分野があります。宇宙・惑星科学,岩石学,鉱物学,地質学,地震学,気象学,海洋学,地球環境学,(これらに加えて地形学や水文学などが入ることもありますが,地理学に分類されることも多い)など,多様です。この中で,たとえば宇宙・惑星科学や,地震学,気象学では,高度に物理や数学を用いて現象を解明するなどの手法を取ることが多く,そもそも高校レベルの物理や数学は一通り運用できるようでないと,普通につまずいてしまうことが多いようです。下記リンク先で,現場の大学教員の声として挙げられています。

researchmap.jp

 私自身も,高校3年次に「物理」を履修していたものの,結局受験ではセンター試験でしか使わず,まさに“片手落ち”状態でした。それゆえ,確かに物理や数学に対しては一定のディスアドバンテージの意識が拭えず,地震学や気象学の分野に進んだ同期や先輩後輩がそれらを自在に使いこなしている様子を見ると,この人たちには敵わないな…と納得していました。もちろん,大学に入ってから1・2年次の間に意識的に自主的にそれらを学ぶことで,高校時代のハンデを取り返すこともできるでしょう。しかし,こういった地震や気象というのは比較的人気の分野で,学生が集まりやすく,研究室の定員の都合で結局優秀な学生から埋まっていくので,その意味において高校時代に物理や数学を完璧にしておくというのはやはり重要なことなのだと思われます。

 また,これと同様に,鉱物学や岩石学だと高校レベルの化学がわかっている必要があるなど,いわば入ってみないとわからない難しさがあります。そうした状況をわかったうえで生徒を教えている高校理科教諭がいて,生徒が「大学で地球科学を学びたい!だから高校のうちから地学を学んでおきたい!」と懇願してきたとしたら,おそらく心の中で惜しみながらも「物理」と「化学」の選択を薦めることでしょう。高校「地学」はいわばオムニバスであって,それぞれの入門編を理解していたとしても,その先を深めるために必要な道具が「地学」の中では提供されないわけですから。(たとえばコリオリの力なんかは,円運動の話の一切をすっぽかして「F = mωvsinθ と表される」みたいな記載にとどまるなど)

 そう,「大学で地学を存分に学び,研究したい!」という人ほど,高校では「物理」や「化学」を学んでおく必要があるのです。なんだかまるで「愛しているが故に近づけない」みたいな切ないラブ・ストーリーのようですね。(は?)

 この点に関しては,たとえば理数科の設置がある高校などでは,2年次に物理と化学を履修した上で,3年次に「生物」or「地学」を選択させて,道具を存分に使いこなせる状況で地学を履修するなんていうモデルケースもアリな気がしてきます。そうすれば高校で「地学」を学べない状況は打開できます。

 とはいえ,実際のところは高校側も進学実績が大事だし,生徒側も受験で第一志望校合格が大事なので,3年次で地学なんかにうつつをぬかしている余裕があったら物理と化学をゴリゴリ究めて入試問題を解けるようになりなさいみたいなことになっちゃうんだろうと思います。私でも,物理ができたらフツーに物理で受験したい(危ない橋を渡りたくない)ですし。

 

高校「地学基礎」は,防災・SDGsに資する教養としての意義が大きいっぽい

 ここまで主に2点議論しましたが,結局,現行の枠組みでは「地学」が普及するのは難しいように思われます。ただ,上述でも何度か触れてきたように,地学を学ぶことで,これからの日本を生きていくうえで重要な知見が得られることは言うまでもありません。これは地理においても言えることですが,たとえば自治体の発行する災害ハザードマップを見たときに,単純にメッシュで色分けされたものを見て一元的に理解するよりも,地形や地質がなんとなく頭に入っていてそれが相対評価されていると強いわけです。ああここは上流でこのくらい雨が降るとこれくらい増水してまずいんだろうなとか,時間雨量と積算雨量が一定値を超えたらそりゃ土壌粒子にも浮力が働いてガサッといくよな…とか,そういうのが少しでも多くの人に共有されることが何より望ましいのだと思います。

 そう考えると,やはり高校「地学」の履修が普及しないのはもうある程度仕方のないことであって,むしろ今後重視すべきは「地学基礎」が広く浅く,多くの生徒に学ばれることの方なのであろうな,と思いました。そして,教科教育の垣根がある都合上たいへん難しいのですが,やはり用語暗記に終始することなく,なぜ?どのように?を意識して考えられるようなものになることを望んでいます。

 私は予備校の現場で,数学や化学の傍ら,僅かながら文系向けの「地学基礎」を教えていたりします。そこで普及に向けてできることは少ないのですが,ただせっかく受験で使おうとしてくれた生徒にとって,受験で点をとるプラスアルファの楽しさを伝えられたらいいな,とか思いながら仕事をしています。

 「趣味で地理・地学」と銘打ちながら,かなり真面目な話になってしまいました。まとまりませんが,今回はこれにて。記事を書いている最中に,今後また考えたいトピックが生まれてきたし,今後は月一くらいで更新できたらいいなという思いです。また今度,「地理」普及に関する議論もしたいと思っています。長々とお付き合いくださり,ありがとうございました。

私の“地履歴書” その①

 前回の記事で,自己紹介やブログの方針についてお話しさせていただきました。

 今日は,私の地理・地学のバックグラウンドについて,お話ししたいと思います。地理の履歴書,略して”地履歴書”です。(なんかヒストリカルな響き…)

 

私が地理・地学に興味を持ったきっかけ

 そもそも,私はなぜ地理・地学に興味を持つようになったのか。はっきりとしたきっかけや理由は今でもわかりません。大学院時代の研究室の仲間は,小さい頃からだんだんと自分の住む地域の開発が進んでいく様子を見て地域変化の様子に関心を持ったとか,山に囲まれて育ったから地形変化に関心を持ったとか,色々ありました。ただ,私はきわめて平凡な千葉のニュータウン育ち(※千葉ニュータウン印西市)ではありません)で,下総台地を削って盛ったような土地にできた均質なコミュニティの中ではそういう興味も一切わかず,なぜ地理・地学を好きになったのか不思議なものです。

 (余談ですが,私の弟(3歳下)も同じ環境で育ちながら,大学は地球科学系の学科に進み,中学理科の教諭をやってます。いよいよ謎です…)

 

我が家のカーナビになった私

 唯一,地理・地学好きの関連エピソードとして挙げられるのがこれ。私は幼稚園入る前くらいから,大人(ここでは父や祖母)の運転する車の助手席で行先案内板を見て漢字込みで地名を覚え,それをよく大人に話していました。読めない漢字があると,「あれなんて読むの?」みたいに毎度問いかけ,それを教えてもらうたびに知識が増えていく感覚がとても嬉しかったのを覚えています。

 小学校低学年の少年が地名を読めるようになり,車の助手席に座っていると次にどうなるかというと,道案内をやるようになります。当時(1990年代後半)は,まだスマホはおろか,カーナビもほとんど世に出ていない時代でした。たとえ最先端のカーナビを搭載した車であっても,めちゃめちゃいかついアンテナをルーフの四方に突き出しながら走っててダサいし(これはあくまで私や両親の主観),精度も低くて別の道路を案内されることがあるらしいし(これは親戚が言っていたいわゆる口コミ),おまけに高価だし…ということで,うちの車に導入されることはありませんでした。

 概ねバブル期に車を買ってドライブしていたような世代の方々はそういう経験をされている(一種の様式美)と思いますが,父は道路地図を片手に,道路の実情や案内標識・行先表示板と照らし合わせながら,あー間違えたとかここはこう曲がればよかったとかいいながら目的地までの道のりを走るわけです。運転しながらだと,当然地図はリアルタイムで見られないわけで,曲がる交差点を間違えることも多かったし,いったん停車して経路を確認するようなことも多くありました。しかも紙の地図だから(当たり前ですが)倍率を変えられなくてめちゃめちゃ目を近づけないと解読できないし,夜道だと暗がりで見ないといけないから車内灯だけでなく懐中電灯も必要になったりして大変…。助手席の私は,その様子を見て,幼心に「なにか役に立ちたいな」と思ったのでしょう,次第に地図を膝の上に載せ,行先表示板と照らし合わせながら道案内をはじめました。

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ミリオン道路地図
こういうのをドライブのたびに父が車のドアポケットに入れていて,毎度見せてもらっていたし,これを使って行先案内もしていた。でも旧道とバイパスの描き分けが不十分だったり,市街地の道路構造を描けてい無かったりするので,そういう場所ではよく親子で面を喰らっていた。
( https://www.mercari.com/jp/items/m13969479196/ より引用)

 道案内というより,ただ純粋に,未知の景観を見ながら,自分は今どこにいてどちら方面に向かっているのかが気になっていただけなんだと思います。好奇心に毛が生えたような感じです。はじめは自らの幼少期の優れた視力を生かして看板の地名を読むくらいでしたが,小学校中学年くらいになると頭の中で考えながら経路を提案するようになりました。父の実家は秋田なので,お盆休みは我が家のオデッセイ(初代なのでサードシートの右横スペースにスペアタイヤがドカンと置かれてる,今考えたら空間効率めちゃくちゃなやつ)で千葉から秋田までドライブするのですが,高速道路は例に違わず渋滞するので一般道で向かいます。父が「渋滞を避けながらできるだけまっすぐ北上したいんだけど,どういうルートがあるか?」なんて助手席の私に問いかけると,私は「ここからだと下館抜けて大田原とかの方に向かうのが一番かもね,国道408号」とか地図を見ながら応答してました。今振り返っても,なかなか優秀なカーナビですね。

 余談ですが,千葉から秋田への道のりは片道500km以上あるので,基本的に退屈です。それを紛らわすために家族4人で(後部座席の母と弟も交えて)しりとりをしたり,ダジャレを考案したりと,ありがちな暇つぶしをしていました。これらに加えて,誰が思いついたのか今となっては思い出せませんが,「次のコンビニ当てゲーム」なるゲームに興じていました。現在地の地域特性を総合的に考慮しながら「次はHOT SPARだな!」「じゃあ俺はファミマ」「いやサークルKだろ」…(しばらく走行後)「うわ〜,コミュニティストアかよ〜!」とかワイワイやっていました。たいそうくだらないゲームですが,今になって思えば,地域が変われば物流や商業の特性も変わる?という,当たり前の地域間比較の視点?を養っていてくれた気がします。現在ではどの都道府県にもセブンイレブンがあるし,サークルKやサンクスは全部ファミマになってしまったし,おまけにフツーにGoogle Mapsで答え合わせができてしまうので,おそらくやっても面白み半減ですね。

 もちろん,今思えば,帰省先の秋田での経験も,それはそれで私を地理・地学の世界に誘うのに十分なものがありました。(リアル異文化コミュニケーション)。これについてはまたいつかの記事でお話ししたいと思います。

 

学業優秀な小中学生時代

 地理・地学好きのはっきりとしたきっかけがないにせよ,素養は着実にできていたsyumichiri少年。小学校から中学校までずっと,好きな教科は理科,嫌いな教科は体育。理科好きなのは割と首尾一貫していて,小学生くらいだと大抵その教科担当の教師が好きか嫌いかで好きな教科も変わってくるような人も少なくない(らしい)ですが,私は「理科の〇〇先生は嫌いだけど理科に罪はない」主張を地でいくようなヤツで,嫌いな教師ほどあとで気に入られるような少年でした。(別にそういう教師に迎合しているわけでもないし媚び諂ってるわけでもないのですが,フツーに満点が取れてしまうのでそういう教師ほど私のような生徒を“お気に入り”としてしまうらしいのです。これ当時はよくわからなかったのですが,妻(小学時代はリアル「ハリー・ポッター」のハーマイオニー)も同じような経験をしていてなんとなく理解できました)

 理科好きに加え,中学校に入ると社会科も面白いと思うようになりました。なんとなくですが,往々にして,幅広い知識に触れ,それが身についていくことに喜びを感じていたんだと思います。

 思えば博識は憧れでした。中学時代は日曜の午前中の部活(卓球部)の練習が終わって昼過ぎに帰ってくると,欠かさずアタック25を見ていた時期もありました。テレビ画面の出場者よりも先に正答できた問題があると得意げな顔になったり,誤答すると負け惜しみを言ったりするのが習慣になっていました。いつか収録スタジオで児玉清さんに紹介されて青の座席に座りたいな…とか,でも出場できても,パリ・ロワール・モンサンミッシェル9日間の旅をゲットするのは至難の技だろうから所詮スワロフスキーの参加賞が関の山だろうな…とか思っていました。(そうしてグダグダしていたら児玉さんは亡くなってしまい,もうその夢をかなえることはできなくなってしまいました…)。クイズ番組は今でも好きで,(ここ数年のクイズ番組の乱立の中には,多少趣味が合わないものもあって手放しで喜んでいるわけではありませんが)仕事終わってテレビつけて放映されているとつい見てしまいます。また,みなさんご存知の QuizKnock は,知的好奇心をくすぐられるし純粋に博識性を遊び楽しんでいる様子が垣間見られていいですよね。
quizknock.com

 こういう,幅広い知識が得られるものが元来より好きだったんだと思います。地理や地学は,まさに人文科学,社会科学,自然科学を網羅しながら,それらの中にある諸知識を関連づけて体系的に理解していく学問なので,いま考えると私は至極真っ当な趣味をぶちかましています。

 

高校で学業停滞,部活に明け暮れつつも,“移動すること”への欲求が絶えず…

 全教科で成績優秀,中学校では塾にも通わず何度も学年トップ(とはいえ昭和50年代に造成されたオールドなニュータウンに隣接する地元の山の中の中学校で一学年120人くらいの小規模校なので大したことはない)をとった少年は,高校入試で人とちょっと違う進路を歩みたく思い,偏差値帯ではもっと近所に適当な学校があったもののアウトオブ眼中(30年前の言葉?)で,千葉では“県立御三家”と称されるうちの一角,最近ではOBのディーン・フジオカパイセンの活躍が誇らしい某F高校に進みました。そこではやっぱりみんな頭がよく,要領のいい人間が多くて,部活をガッツリやりながら学業も疎かにしないというのがフツーに達成できる連中が多くいました。そんな中,私は週7で部活に没頭してしまい,しかも合唱部で学生指揮者なんてやってたものですから,高1の中盤から早速学業停滞,高2で赤点を叩き出すような状況になりました。(こういう学生時代を送っている予備校講師の体験記ってそこら中にありますよね…もう例に違わずのオンパレードでつまらなくてスミマセン)。

 とはいえ,赤点をとったのは英語(ライティング)の一度きりで,知識を取り入れることに吝かでなかった私は,定期テスト直前期に知識を詰め込んでそれなりの点数を叩き出していました。(詰め込んでもなんともならない英語が最高にキツかった…)。詰め込みで踏ん張る中でも,理科系少年にとっての大敵は社会科(歴史と公民系)でした。こういう教科は,大人になってから知識が相対化され経験と紐づいてくると興味が湧いてきて自然と学ぶものだと思われるのですが,高校生当時の私はほとんど関心がなく,関心がないのでなんとかモチベーションを保たなくてはならないと思い工夫が必要でした。そこでよく実践していたのが,「大回り暗記法」(自称)でした。鉄道好きの方であればご存知と思われますが,初乗り(当時は130円)のきっぷを買って,一筆書きの経路で大回り乗車ができるんですよね。これを使って,テスト直前の休日の夕方には,閑散エリアの電車内をマイ自習室と化させ,移動(乗り鉄)することにモチベーションを見出しながら暗記していました。

大回り乗車について trafficnews.jp

 成田線我孫子〜成田間はとりわけ良質な自習室でした。閑散とした車内で,単線のため待ち合わせがあると数分間停車して,またゆっくり走り出して…みたいな繰り返しが程よい刺激になり,よくわからんカタカナがスッと頭に入ってきました。これは完全に少数派だと思うのですが,私はよく物事を場所と結び付けて覚えることをしていて,布佐駅でこのキーワードやったな,とか,安食駅でこのテーマを理解したぞ,とか,場所の記憶があるとそれで瞬時に思い出せるという特性がありました。いわば,謎のジオコーディングをしていたわけです。なんでですかね,心理学とか脳科学?の中で,これに説明がつく概念があればぜひ知りたいです。

 そういうふうにして,移動することを楽しみながら定期テストを切り抜けていました。移動することへの欲求はさらに募り,何かにつけて新しい場所に行ってみたい,みたいな気持ちがありました。高2で単身名古屋へ,部活の演奏曲の勉強にと,ムーンライトながら(定期列車で313系で走っていた頃)を利用して0泊3日のスケジュールで旅したのも思い出だし,夏に演奏曲の詩の理解を深めるべく取材?の一環で,秋田に帰る道中に岩手の花巻に立ち寄ってもらったこともありました。取材とは都合よく銘打っていますが,実質ただ行ったことのない場所に行きたいだけ,その口実がほしいみたいな感じだった気がしています。

 そういえば(時系列がずれますが),小学5年生の夏には自由研究と銘打って,お盆の秋田行きの車を大きく迂回させて気仙沼の漁港を訪れ,漁港の地域的特性や漁獲高の比較などして模造紙2枚分にまとめて提出,小学6年生の夏には伊能忠敬記念館を訪れ,伊能忠敬の業績や当時の測量技術について調べて模造紙2枚分にまとめて提出,いずれも小学校代表作品で市民ホールに展示されていました。やっぱりどこかに行きたいだけの少年だったようですね。(それでいて地理好きの片鱗が垣間見える…)

 時を戻しますが,高校も3年になると,進路について本格的に考え,どういう学部に進もうか,何をやろうかと悩む時期でした。小学校の頃から理科系少年だったこともあり,特に化学の実力は誰にも負けないほどであったため,まあ自分の得意なことから順当に行けば化学系の学部学科かな,という思いでいました。しかし,ここで人と違うことをしたい気持ちが心の片隅にあった私は,やはりどこか違和感がありました。わが母校は「〇〇重点校」みたいなやつに指定されがちだったため,大学の教員や研究者が課外で高校に出前授業のようなかたちで講義や実習を開いてくれたことがありました。(確かSSHとかいう名称でした)。これも記憶の片隅ですが,そこで(確か東大か東工大の名誉教授による)有機化学の結合論の講義を受けたことがあり,また(千葉大を訪れて)地球科学の手法であるリモートセンシングの講義や実習にも参加したこともありました。誠に勝手な主観的判断なのですが,私は圧倒的に後者の方が面白く感じられました。(受験勉強そっちのけで,受験に関係のない実習に参加してんじゃねえよという話ですが…)

 

そして,地理・地学の方向に人生の舵を切った

 そこからは,もうほとんど地球科学一択でした。模試でも,志望大学をマークする登録用紙には地球科学関連の学部を書き連ね,センター試験の選択科目は(本当は地学を選びたかったけど当時の試験日程だと地学と化学が同時に実施されていて,化学がバリ強かった自分には化学を捨ててまで地学を選ぶことができず)物理と化学になり,社会科は地理を選び,黙々と受験生をやっていました。好きな教科があると,それが息抜きになり,苦手な教科の勉強を頑張れるみたいな好循環が生まれ,次第に成績が上がりました。ただ,どうしても“性に合わない”気がして,成績がなかなか上がらなかったのが物理でした。今考えれば,正しい勉強法ないしは正しい解法を学んでいなかっただけで,大学以降で改めて物理に触れながら塾や家庭教師で教えながら学ぶとすんなり理解できたので,ああやっぱり師は大事なのかも…と思います。しかし,当時はそんな余裕もなく,いかにして地球科学の行きたい大学の合格ラインに乗っかるか,を真剣に考えました。人と違うことが元来好きな私は,ある大学の地球科学系学科の入試科目に驚きと感動を覚えました。「あれ,二次試験の理科の選択科目に,“物理・化学・生物・地学・地理の5科目から2科目”とあるやん…これだ!」

 二次試験で地理を使うことにしました。夏くらいに決めたので,なかなかリスキーな変更でしたが,「好きこそ物の上手なれ」とはまさに言い得たもので,知識の幅が広がり,因果関係を結び付け,論理的に整理して理解できる地理はみるみる実力が上がっていきました。高校の月曜7限の総合学習の時間(これだけでゆとり世代がバレる)は,進学校であったこともあり,各々の受験に必要な科目を探究できるように開設されていたのですが,そこでガッツリ地理を選択しました。理系はおろか,文系でもそんな選択をする人は学年320人中で誰一人としておらず,私と地理の先生のマンツーマンで演習を続けました。地理の知識が増えると,苦手だった英語で出てくる文化論や国際社会に関する長文がだんだんと読めるようになってきて(これはかなり邪道な上達法),本文中の論旨がたまにわからなくてもこういう文脈だろうとかいう危険で間違った解法で英語を乗り切るうちに,S台予備校に通い英語と数学を鍛錬していたことも功をそうして,だんだんと構文が理解でき,得点できるようになってきました。(こういう経験のある方って割と少なくないのかも?)。繰り返しになりますが,こういうことは絶対に真似してはいけないし,いま予備校で仕事をしていても決してオススメしていないです。

 ところで,地理の入試に関しては,そのうちこのブログでも特集としてアップしたいと思っています。各大学に傾向が顕著で,特に論述問題は思考のトレーニングになるし趣味としても相当楽しめるので。乞うご期待です。

 そうして,入試を終え,無事第一志望の大学に合格できました。地理と地学に救われ,人生の羅針盤を地理や地学からもらいながら,地球科学のメッカ?とも言えるであろう某陸の孤島大学に進むことになったのです。(なぜ地球科学のメッカなのかについては,これも後日書くかもしれません…)

 

…と,ここまでで既に7,000字を超える記事になってしまいました。大学以降の続編は,また近いうちにアップしたいと思います。

お読みいただけていたら,ありがとうございます。またどうぞよろしくお願いします。

ブログ立ち上げにあたって…

はじめまして,syumichiri(シュミチリ)です。

ブログタイトル「趣味で地理・地学」に準ずるかたちで,ニックネームとしてもsyumichiriと名乗ろうと思います。

 

このように突然ブログを始めさせていただきましたが,まず私が何者であるか,そしてブログを始めるに至った経緯やブログの方針について,いま考えていることをまずお話ししたいと思います。

 

何者か?

  • 本業は予備校講師(数学・化学を教えることが多い。たまに物理・地学・地理。高卒生の進路サポートも担当)
  • 副業で家庭教師。ハイジのところでプロ認定取得。
  • 地理系(地球科学系)院卒アラサー。理学修士取得で,博士単退。
  • チバラキ県民。千葉県内在住で主に県内北西部で仕事。たまに仕事で茨城県南や都内へ。
  • 既婚。相手は高校の同級生。

 

ブログを始めるに至った経緯,きっかけ

私がいつも仕事をしている予備校をはじめ,大学受験をターゲットとした私教育業界では,需要の多寡がくっきり分かれます。当然,理系であれば需要の多い数学や化学の開講数が多く,(それらの学問を究めたわけではない私でありますが)必然的に数学や化学を教える機会が多いのが現状です。

 前述で触れたように,私は大学入学以降,地球科学にずっと興味を持って学び研究してきました。当然,その中で中等教育(中学〜高校)レベルの理科や数学は前提として使っていたし,当時アルバイトをしていた大学の近所の学習塾でもそういうことを教えていたので,そういう経験が今の仕事につながっています。とはいえ,理学部の数学科とか化学科の方々や,あるいは日頃から道具として高等数学を扱っている工学系の方々に比べれば,私の理解は遠く及んでいないな…と思うばかりです。

 講師の業界?でも,上には上がいるし,近年では圧倒的専門性を有しながら圧倒的にわかりやすい授業を展開する講師がオンラインで映像配信していたりするので,少なくともこういう方々と同じ土俵には今後も立たないだろうな…と思っています。

 もちろん,専門が違うからとか上には上がいるから…とか言い訳するのではなく,それらの教科の本質はなにかを常に意識しながら,”解ければいい”ではなく”本質がこうだからこういう思考ができる”という指導を心がけているし,そういう指導をしています。それゆえ,専門ではないなりに,自分も思考を深め日々研究することができていて楽しく仕事をさせてもらっていますし,年々出講数も増えており,有り難い限りです。(※こういった予備校でのお話は別稿に譲ります)

 

 しかし,やはり大学から大学院までの期間を通じて興味を持って学び研究してきた地球科学に触れていないのは些か物寂しい気がしていて,地球科学(地理・地学)に関するお話を何らかの形で発信できないだろうか,と考えていました。

 地理はまだ文系学部の受験科目として,あるいは国公立理系でもセンター試験(2021年度からは大学入学共通テスト)の選択科目として一定の地位があるので,講師数もそこそこあり講座開設数も少なくないですが,(理系科目を担当できる講師は比較的貴重なためか)ほとんど依頼がこない状況。

 地学に至ってはそもそも理系で地学受験ができる大学・学部が限定的で,受験科目として開設されている大学であっても,諸般の事情(※これも別稿で考察します)で地学選択をする人は稀で,受験で地学というとその大方は国公立文系のセンター試験(共通テスト)選択科目の一つとなるため,講師も予備校に数名いるかいないかという状況で,講座数も僅少です。

 そこで,ニッチ需要にも重点を置くような予備校他社の採用試験を受けるとか,大学の教職科目とかで非常勤募集はなかろうかとか…模索していました。でも,そこまで需要の見込めない仕事を取りにいくことに果たして意味はあるのだろうかという疑念はあるし,そういうポジションは既にベテランがいて新人の出る幕はなかろうという感覚もありました。そのうえ何より,予備校講師たる者やはり目の前の生徒の成績向上に資するのが最重要だという思いもあった(大抵の講師は“好きで仕事している”というより“必要とされるから仕事している”という印象もってた)ので,無理して地理・地学を教える立場・職にありつくのも違うかな…と考えていました。

 

 そう考えるうちに,一つの答えが出ました。趣味の程度でいいじゃないか,と。

 もちろん,地理的・地学的な視点を持った方々が,趣味の範疇の内外で既に様々な形で発信されています。空想地図なんかはその最たる例だと思います。単なる旅行記であっても,そこに地理的・地学的な視点が見え隠れしていたりすると,ああ面白いな,と興味を惹かれてしまいます。

 私もそんな感覚で,地理・地学に関わっていきたいな。そういう思いで,このブログを始めさせていただきました。

 趣味だからこそ,寄り道できる。

 趣味だからこそ,気になったことを自由に分析・考察できる。

 趣味なので,役に立たない。でも,役に立たないからこそ,おもしろい。

そんな感じで書いていきたいと思います。

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趣味でゆっくり,コーヒーでも飲みながらの気持ちで地理・地学します
(写真はとある山小屋での一枚)

 

ブログの方針

 そういうわけで,当ブログでは,私の趣味の範疇で地理や地学にまつわる事柄を紹介したり,分析・考察したり,あるいは議論したいと思います。

 ただ,これまでに述べた内容からもお察しいただけるように,私は博士号をとっていないのでいわゆる地理学や地球科学のプロではないし,予備校での最近の仕事の重心が数学や化学であるため受験地理や受験地学のプロと言い張れる自信もありません。(もちろん,後者に関しては一度プロとして予備校の採用試験に合格しているので,機会があればいつでも万全の準備をして臨むわけで,今後そういう機会があると嬉しいと思っている次第ですが…)

 プロでないなりに,客観的に見たり考えたりする所存ですので,どうぞよろしくお願いします。

 もし何かの拍子に当ブログをお読みいただき,そして何らかのコメントを頂けるようでしたら,私も嬉しく思います。この内容は間違ってるとか,この視点はおかしいというような指摘も頂けますと幸いです。

 

今後の予定

 最後に,今後記事として取り上げようと思っているトピックをいくつか紹介します。

  • 地理・地学の特性について思う,考えること
  • 地理・地学の大学入試特集
    • 地理や地学を学べる大学・学部,および各大学で学べる分野など?(とくに地学は在籍教員の専門分野によって学べることが異なりそう)
    • (共通テストだけでなく)二次試験でも地理や地学を使うのは現実的か?
    • 各大学の入試分析(職業柄,気になっている…)
  • 私自身の移動履歴を振り返る
    • 大学〜大学院在籍時は,数日間でもまとまった休みがあればすぐに青春18きっぷを使ってあちらこちらを訪れていた(ただの乗り鉄
    • ここ数ヶ月間の移動制限もあり,地理・地学好きとしてはやや欲求不満の節もあるので,ここであれこれ振り返りたい
  • 地理・地学を趣味としながら,数学や化学を教えていて思うこと

 

いずれもニッチで誰が興味あるんだ,って感じですね。でも,だからこそブログで記していきたいと思います。需要を気にせず,ここでは自由に。